アンミカさんと言えば、20歳でパリコレデビューして、アメリカのセレブな実業家セオドール・ミラーさんと結婚して、お金持ちのイメージがある素敵な女性ですよね。
ですが、アンミカさんの幼少期は、かなり驚きの貧乏エピソードがあります!
そのギャップがまた魅力的です。
こちらでは、アンミカさんの貧乏エピソードをまとめていきます!
目次
アンミカの貧乏すぎるエピソード7選!
アンミカさんは、1971年に韓国・済州島に生まれ、1975年に家族7人で大阪に移住してきています。
そこから貧乏すぎる壮絶なエピソードがはじまります。
貧乏エピソード①:長屋の2階部分の4畳一間
イメージしてみてください。
家族が7人(両親とアンミカさん含む兄妹5人)います。部屋は一つです。しかも4畳のお部屋が一つのみです。
畳4枚で家族7人。寝る時は、一人当たり畳半分のスペースで寝ていたということでしょうか。。。。
これだけでも壮絶すぎるエピソードです。
しかも、長屋の2階部分に住んでいたということです。
貧乏エピソード②:スイカのルール
スイカに関しても貧乏エピソードがあります。
①スイカの種は捨てずに砂糖をまぶして飴代わりにする。
②スイカの皮の白い部分は、体を洗うのに使う。
人間の知恵というのは凄いなと思ったりもします。
貧乏エピソード③:果物ルール
アンミカさんの幼少期には果物に関するルールも合ったと言います。
果物は買わない
果物は買わないというルールがあり、果物は、夜中に子供たちが3駅ぶんほど歩き青果市場いき調達していたと言います。
調達方法は、朝の市場で売れ残ったフルーツや傷んでいる品物を、市場の人々が恵んでもらう。というものでした。
貧乏エピソード④:病院ルール
病院は行かない
「うちは貧乏やから病院に行くお金なんかない」と言われて育ったアンミカさん。
病院に行かないルールがあるだけに、健康にはかなり気をつけていたと言います。
しかし、アンミカさんは鼻を骨折。
病院に行かないルールのもと、母親だけが病院へ行き、病院の中だと診察料がかかるため医者を外まで連れ出して、骨折の治し方だけを聞きだしたと言うエピソードがあります。
それに従って自宅で治療した結果とても綺麗になおっているので、その処置は適切だったということです。
貧乏エピソード⑤:シャワーと風呂について
アンミカさんは貧乏時代、お風呂がある家に住んだことがなかったと言います。
では、お風呂はどうしていたかと言うと、銭湯や、部活でシャワーを浴びてきたりしていたと言います。
また1階の強要の台所で朝シャンをしていたということです。
貧乏エピソード⑥:意外とテレビは合った!
これだけの貧乏生活だとテレビはないのかなと思いきやテレビはあったそう。
ただし、テレビは拾ってきた小さなもの。
しかもチャンネルが壊れて、四角い棒が出ているところをペンチでつまんで回して見るという、アンミカ家の独特のコントローラーがあったと言われています。
貧乏エピソード⑦:家族旅行が独特!
家族旅行にまつわる貧乏エピソードもあります。
当然遠くへ行くことはできなかったようですが、家族旅行はしていたと言います。
どんな旅行だったかと言うと、「大阪の環状線にひたすら乗る」というもの。
ずっとぐるぐる回っていても、飽きるので、外回りと内回りと景気を変えて旅していたという強烈なエピソードがあります。
まとめ
以上、アンミカさんの壮絶な貧乏エピソードをまとめました!
どのエピソードも体験したらとても辛そうなエピソードですが、アンミカさんの一家はとても明るかったと言います。
もちろんお金があった方が良いに決まっていますが、人の幸不幸はお金だけではないんだな~と、アンミカさんの幼少期の貧乏生活の話を聞いていると思います。
逆にセレブ時代の話しも聞いてみたいですねっ!