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岩岡洋志の家族が凄い!ラーメン博物館創業者の姉が五大路子だった!

岩岡洋志 ラー博館長 家族

ラーメン博物館、通称「ラー博」。創業者であり館長の岩岡洋志さんが全国各地のラーメン店に通いつめて、出店にこぎつけたエピソードは1993年8月1日のオープンから27年になろうとしている今も語り継がれるエピソードです。

すみれは、北海道まで80回以上も通ったという逸話も。

それほどのガッツの源は、岩岡洋志館長の家族にあるように思います。

そこで、こちらでは、ラーメン博物館創業者岩岡洋志館長の家族についてまとめていきます!

ラーメン博物館創業者・岩岡洋志館長の家族構成!妻や子供は?

ラーメン博物館創業者の岩岡洋志館長の家族構成をまずみていきます。

岩岡洋志の家族構成は?

岩岡洋志館長の兄弟は、姉と兄がいます。

両親と姉と兄と岩岡洋志館長の5人家族で育ちました。

岩岡洋志館長の断れても何度も何度も立ち向かえる反骨心の源は父親にあるように感じます。

というのも、岩岡洋志館長の父親は大正10年生まれで戦争を経験している厳格な父。

口答えできるような父親ではない厳しい父親だったそうです。

ですが、中学1年生の時に、自分は悪くないということで怒られて意を決して逆らったというエピソードが。

この時の勇気に比べたら、他の人に物怖じせずものを言うことは、さほど怖くなかったと話していますので、家庭環境で度胸が育てられたのかなと思います。

岩岡洋志の妻や子供は?結婚してる?

岩岡洋志館長の妻や子供に関しては、情報が出ていない状況です。

一般人なので出ていないのでは?ということが通説のようです。

ですが、岩岡洋志館長の親族は凄いことになっていますので、続いて紹介していきます!

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ラーメン博物館創業者・岩岡洋志の姉が五大路子!

ラー博の館長の岩岡洋志さんのお姉さんが、女優の五大路子(ごだい みちこ)さん。

岩岡洋志館長の7歳年上で、子供の頃両親が仕事で忙しく、岩岡洋志さんのお世話をお姉さんが積極的にしていました。

五大路子さんは、1977年NHKの連続テレビ小説『いちばん星』の主役でテレビドラマデビューして数多くの舞台やドラマに出演しています。また映画では、2006年の「デスノートthe Last name」に夜神幸子役で出演しています。

五大路子さんの家族は、俳優一家ですので、ラー博館長の岩岡洋志さんの親族には著名な方が多いです!

岩岡洋志の義兄が大和田伸也!

著名な親戚になると、五大路子さんの夫である、大和田伸也さん。

岩岡洋志館長からすると、義兄ですね。

大御所の俳優さんですもんね。ラーメン博物館からの繋がりを考えるとなんか凄い気がします。

そして、五大路子さんの息子、大和田悠太(長男)さん、大和田健介(次男)さんが岩岡洋志さんから見ると甥っ子ということになりますね。

岩岡洋志と岡江久美子の関係は?

岡江久美子さんは、岩岡洋志館長の親戚にあたるということですが、関係を整理していきます。

岡江久美子さんの夫が、俳優の大和田獏(おおわだばく)さん。

大和田獏さんは、大和田伸也さんの弟になります。

つまり、岩岡洋志さんから岡江久美子さんをたどると、

岩岡洋志さんのお姉さん(五大路子)の旦那さん(大和田伸也)の弟さん(大和田獏)の奥様(岡江久美子)ということになりますね。

図解するとこうなります。

岩岡洋志 家系図

ラー博館長・岩岡洋志のプロフィール(学歴・経歴)

  • 名前:岩岡洋志
  • 生年月日:1959年6月11日
  • 年齢:61歳(2020年7月現在)
  • 出身地:横浜市港北区篠原町
  • その他:新横浜ラーメン博物館館長

岩岡洋志の学歴(大学・高校)

大学・高校

・神奈川県立港北高等学校

・青山学院大学経済学部卒業

青山学院大学時代は、ラグビー部に所属し、ポジションは、ウイング(WTB)。

大学のラグビーでレギュラーを取るために必死の努力をした経験があり、この体験は、新横浜ラーメン博物館オープンへにけた困難を克服する努力に役立ったといいます。

学生時代に必死に頑張った経験というのは社会にでても大きく役立つのだなと勉強になりますね。

岩岡洋志の経歴

経歴

・(株)大倉博進(現:新生紙パルプ商事(株))入社

・(株)興新ビルに入社

・(株)新横浜ラーメン博物館を設立/代表取締役

岩岡洋志館長の経歴を見ていきます。

大学卒業後にラーメン博物館の構想があったわけではなく、大学卒業後は、商社に入社。

(株)大倉博進という会社で、現在の新生紙パルプ商事株式会社。

当時は、今ほど大きな会社であったわけではなく、さらには社会のことをよく知らない若造だったので、その会社で出世して、社長になろうと思っていたと語っています。

野心家ですよね。

転職のきっかけは、兄から父親の会社で働かないかと声をかけられたことがきっかけで、転職。

不動産業に従事する中で、地元の新横浜の発展を考えるように。

そして、生まれた構想が新横浜ラーメン博物館のオープンへとつながっていきます。

オープンから約27年。食べ物がテーマのテーマパークとしては異例の人気を誇り現在もなお人気のスポットになっています。

激レアさんを連れてきたでラーメン博物館の想いを語る!

2020年7月25日放送の「激レアさんを連れてきた。」で新横浜ラーメン博物館の創業者であり館長の岩岡洋志さんが出演します。

その中で、ラーメン博物館の創業当時の想いを語るとあります。

もともとラーメンのテーマパークをつくるというコンセプトではなくて、新横浜の活性化を考えた結果、たどり着いたのがラーメンだったというのが、意外性があり面白いところですよね。

ラーメン博物館のオープンに向けたストーリーは過去さまざまな番組にも取り上げられています。

JCOMの「横浜美人図鑑」でも語っていて、その動画は公開中です。

まとめ

以上、新横浜ラーメン博物館の創業者の岩岡洋志館長の家族や親族、学歴・経歴についてまとめました。

新横浜のラーメン博物館はコロナ禍の中でも対策を練って営業しています。

館内はコロナの前に比べると空いているようですが、それでも人気のスポットになっています。

ラーメンは見ていると食べたくなりますね、、、、!

激レアさんの放送を見て、久しぶりに行きたい人が続出しますねっ!!

同じく激レアさんを連れてきた。に出演した、小学生のさくらこちゃん。お母さんのTwitterがガチで面白いのでまとめました!

>>>小学生さくらこちゃんの母親の公式ツイッターは必見!【激レアさん】

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