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バッハ会長の経歴や任期!選手時代はフェンシングで五輪金メダリスト!

バッハ会長 選手時代

IOCのバッハ会長は、経営者という雰囲気で見ていましたけど、実はオリンピックの金メダリストなんですね。

さらに凄いのは、元金メダリストにも関わらず弁護士として数々の実績を残しているという凄腕。

選手の気持ちも分かり、経営面にも長けているとあっては、IOCの会長として実はかなり有能ということが分かってきます。

こちらでは、そんなバッハ会長の経歴やIOCの会長の任期はいつまでなのか?

また、フェンシングの金メダリストだった選手時代の実績などまとめていきます!

バッハ会長の経歴!

まずは、IOCのバッハ会長のプロフィールをまとめていきます!

  • 名前:トーマス・バッハ(Thomas Bach)
  • 生年月日:1953年12月29日
  • 年齢:66歳(2020年3月22日現在)
  • 出身:ドイツ
  • 言語:ドイツ語、スペイン語、フランス語、英語
  • 役職:第9代国際オリンピック委員会会長、
  • 称号:筑波大学名誉博士

バッハ会長は、1979年までヴュルツブルク大学法学部で法律・政治学を学んでいます。

在学中に、第一次国家試験(司法試験)を通過して卒業し。

ドイツ連邦議会での司法研修期間を終えて1982年、第二次国家試験(司法試験)に合格。

1983年、博士論文「連邦憲法裁判所の裁判における予測の影響」で博士号(法学)を取得しています。

そして同年、弁護士事務所を開設しています。若干30歳で、弁護士事務所を設立していると思うと有能ぶりが伝わってきますね。

弁護士としてのキャリア箇条書きでまとめると次のとおり。

弁護士としての経歴

・1985年 アディダスの国際関係部局の責任者

・1988年~1990年  連邦経済大臣の中産層顧問団の調整役

・1995年 フィリップ・ホルツマン株式会社(建設コンツェルン)の顧問

・1998年 ミヒャエル・ヴァイニッヒ株式会社の監査役会会長に就任。

・2000年~2008年  ジーメンスの顧問。

・2000年~2009年  ジーメンス・スイスの取締役会構成員。

・2005年~2009年  MANフェロスタール有限会社顧問

・2006年5月 ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所の会長に就任。IOC会長の就任後に辞任。

・2008年~2013年  メリウス有限会社の諮問委員会委員長。

・2009年~2013年  ニュルンベルク保険株式会社オーストリアの監査役会構成員、バルテック有限会社(産業保安技術)の諮問委員会委員。

・2013年9月10日~  国際オリンピック委員会(IOC)第9代会長

アディダスからはじまってそうそうたる企業や団体で活躍されてきていますね!

バッハ会長の年収は?

IOC会長としての、バッハ会長の年収も以前公表されたことがあります。

IOCの透明性を伝える目的で、2015年4月2日に公式で年俸が発表されました。

バッハ会長の年間報酬がIOCの会長としての規定の定額どおりであり、22万5千ユーロ(約2900万円)でした。

バッハ会長と筑波大学の関係は?

もう一つ気になる情報は、筑波大学の名誉博士号ではないでしょうか。

バッハ会長はもちろん筑波大学を卒業したわけではなくて、大学は、ドイツのヴュルツブルク大学法学部です。

筑波大学名誉博士号は、2016年10月20日に授与されています。

その理由については、筑波大学の公式HPに記載されています。

トーマス・バッハ氏は,IOC会長就任直後に,オリッピック・ムーブメントをより持続可能的に進めるための改革に着手し,『アジェンダ2020』をまとめ,オリンピック・ムーブメントの振興,文化・教育プログラムの推進等を提言されました。

2013年11月に永田恭介学長と会談して以降,筑波大学におけるオリンピック・ムーブメントに関心を示され,本学の学生や研究者に学問的関心や研究の意義を提供されるなど,筑波大学におけるオリンピック教育と研究に多大なご支援等をされたご功績を称え,筑波大学名誉博士号を授与しました。
引用:筑波大学公式

つまり、IOC会長として、筑波大学のオリンピック教育と研究に多大な貢献を与えたことが称えられたものということですね。

バッハ会長のIOCの任期はいつまで?

2013年9月からIOCの会長に就任しているバッハ会長。

東京オリンピックの年に就任7年ということになりますね。

IOCの会長がそもそも何年ぐらいで交代となっているのか、過去の状況を見てみます。

早くからスポーツ関連の職を手がけており、1975年から1979年まで、西ドイツ・フェンシング連盟(DFB)のスポークスマンを務めた。1981年、IOCに新設されたアスリート委員会の委員。1982年、西ドイツ(後のドイツ)・オリンピック委員会の委員に就任。

名前 期間 年数
1 ディミトリオス・ヴィケラス 1894年~1896年 約2年
2 ピエール・ド・クーベルタン 1896年~1925年 約29年
3 アンリ・ド・バイエ=ラトゥール 1925年~1942年 約17年
4 ジークフリード・エドストレーム 1942年~1952年 約10年(うち4年は代行)
5 エイベリー・ブランデージ 1952年~1972年 約20年
6 マイケル・モリス・キラニン 1972年~1980年 約8年
7 フアン・アントニオ・サマランチ 1980年~2001年 約21年
8 ジャック・ロゲ 2001年~2013年年 約12年

最長で29年最短で2年ということですので、基本的に何年というくくりはなさそうですね。

平均すると13~14年ぐらいの長さになりますので、バッハ会長の就任して7年目というのはちょうど折り返し点ぐらいという認識でも良いのかと思います。

バッハ会長は選手時代、フェンシングでオリンピック金メダルも!

弁護士としての活躍を見てみるとそれだけでも十分凄いのですが、実は、バッハ会長はフェンシングでオリンピックの金メダリストです。

1976年モントリオールオリンピックのフェンシング西ドイツ代表選手として出場しており、フルーレ団体で金メダルを獲得しています。

フェンシングでのスポーツ選手の経歴を見てみると、

バッハ会長の選手時代の実績
1971年  世界ジュニア選手権  銅メダル(18歳)

1973年  フェンシング世界選手権 フルーレ団体  準優勝

1976年  モントリオールオリンピック フルーレ団体 金メダル/世界選手権優勝

1977年  世界選手権のフルーレ団体で優勝
      西ドイツ年間最優秀チームに選出

1978年  ドイツ選手権 フルーレ個人で優勝
     フルーレ団体 ヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝

1979年 メルボルン 世界選手権にフルーレ団体 銅メダル

素晴らしい活躍をされています。

そして、1979年に大学を卒業して弁護士の道へ転身されたというわけですね。

まとめ

以上、バッハ会長の経歴やフェンシングの選手としての実績をまとめました。

あまりに華麗な実績で本当にすごい方なんだなとうなります。

東京オリンピックの時の難しい局面の中で、選手としてオリンピック金メダリストの実績がある方が会長というのは良いことなのではないかと個人的には思います。

ましては、法律のプロであり、数々の経営に携わってきているバッハ会長が責任者であるというのは、適任ではないかとさえ思います。

聡明な活躍を期待しています。

ちなみに、バッハ会長の若い頃のフェンシング選手時代ですが、実はかなりのイケメンです!

誇張なしでびっくりしましたので、確認してみてくださいっ!

>>>>バッハ会長はバッハ(音楽家)の子孫?若い頃がイケメンすぎる【画像】

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