ノーベル賞候補者として毎年名前があがる坂口志文特任教授。
2020年のノーベル賞候補者としても名前が上がってきています。
坂口志文教授は、ノーベル賞の前哨戦とも言われるクラリベイト引用栄誉賞を2015年に受賞。
クラリベイト引用栄誉賞を受賞した年にノーベル賞を受賞する人も入れば数年後に受賞ということも多々あります。
それゆえに、坂口志文教授のノーベル賞受賞にも注目です。
こちらでは、坂口志文特任教授の年齢や生い立ち、嫁や家族、学歴、経歴にいたるまで、坂口志文特任教授のプロフィールについてまとめていきます!
目次
坂口志文(さかぐちしもん)特任教授の年齢とプロフィール【ノーベル賞候補】
- 名前:坂口志文(さかぐちしもん)
- 生年月日:1951年1月19日
- 年齢:69歳(2020年10月4日現在)
- 出身地:滋賀県長浜市
- 所属:大阪大学特任教授
- 肩書:免疫学者、医師、大阪大学栄誉教授他
坂口志文特任教授は、1951年1月19日生まれで現在69歳。
ノーベル賞の候補としてあげられている研究内容は、「免疫細胞が細菌などの外敵を攻撃する際、働きが強まると暴走して自分自身の細胞を傷つけてしまうが、この免疫の暴走を抑える制御性T細胞を発見」したこと。
この研究によって期待されていることは、例えば、自己免疫疾患、アレルギー、臓器移植の際の過剰な拒絶反応を減らすなど難病の治療薬の実現へと繋がる研究です。
この功績をたたえて、2015年のトムソン・ロイター引用栄誉賞(現・クラリベイト引用栄誉賞)をはじめ、ほぼ毎年権威ある偉大な賞を受賞しています。
直近ですと、ドイツの権威ある賞のロベルト・コッホ賞を受賞しています。
坂口志文特任教授の学歴!
続いて学歴をまとめていきます!
坂口志文特任教授は、地元小中高と卒業後に京都大学へと進学、大学院は中退するも、数年後に博士号を取得しています。
最終学歴から順に紹介していきます!
坂口志文特任教授の最終学歴は、京都大学医学部博士号取得
坂口志文特任教授は、大学院中退後、愛知県がんセンター研究所実験病理部門研究生となります。
中退理由は、大学院での病理学がどうしても面白いと思えていない時に、現在の研究につながる「T細胞」の研究をしている西塚泰章先生に惚れ込み、大学院を中退し、愛知県がんセンターの無給の研究生となります。
そして、4年後に学位をとるために、京都大学に戻り博士号を取得しています。
大学は、京都大学医学部医学科卒業、京都大学大学院医学研究科中退
高校卒業後一浪を経て京都大学医学部医学科卒業。
大学入学の時は、精神科医になりたいと思っていたとのことですが、当時は大学紛争の真っ只中で、精神科の現場は、人権にのあり方に関して、激しい抗争が繰り広げられており、精神科医は向いていないと感じ、研究の道へ進みます。
免疫学は大学の時に講義で聞いて興味を持ち、それから免疫学の道を志しています。
坂口志文特任教授は長浜北高校出身!
京都大学医学部というと、坂口志文特任教授は、名門の高校出身なのかなと思いきや、地元の長浜北高校出身です。
長浜北高校に入学した理由は、当時、坂口志文特任教授の父親が、長浜北高校の校長をしていて、誘われたからという理由でした。
これから進学にも力を入れるからという理由で誘われて、一浪しているとは言え、京都大学の医学部進学とあれば、校長先生としては自慢の息子ですよね。
ちなみに、坂口志文特任教授の小学校、中学校も地元の学校を卒業しています。
坂口志文特任教授の経歴!
続いて坂口志文特任教授の博士号取得後の経歴をまとめていきます!
1983年ジョンズ・ホプキンス大学客員研究員
1987年スタンフォード大学客員研究員
1989年スクリプス研究所免疫学部 助教授
1992年新技術事業団「さきがけ21研究」研究員
1995年東京都老人総合研究所免疫病理部門部門長
1999年京都大学再生医科学研究所生体機能調節学分野教授
2007年京都大学再生医科学研究所・所長
2011年大阪大学免疫学フロンティア研究センター実験免疫学分野 教授
2012年米国科学アカデミー外国人会員
2013年大阪大学特別教授
2016年大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授
2017年大阪大学栄誉教授
坂口志文特任教授は、博士号を取得後アメリカに渡り研究を続けています。
そして、「さきがけ21研究」研究員となり、日本に帰ってきて再び研究を続けます。
その後京都大学の研究室を経て、現在の大阪大学教授となり、2017年には、名誉教授になられています。
坂口志文特任教授の生い立ちと家族構成
坂口志文特任教授は、哲学を学んで高校教師をしていた父親と、江戸時代から村医者を務めてきたという家系の母親のもとで生まれ育ちました。
中学生の時は絵描きか彫刻家になりたいと思っていたとのことですが、その背景には、作品をつくった人間に興味があり、何を考えてつくったのか、人はそれを見てどう感動するのかということが面白かったと言います。
ですが、進路を決める時には、父親の哲学的な考え方と母親の医学を受けて、漠然と医学部に行って精神科医になろうと考え、京都大学医学部へと進学するようになります。
両親の影響も大きく、免疫学の魅力について次のように語っています。
「自己免疫疾患」と呼ばれる病気です。これは、免疫が見きわめる自己と自己でないもの(非自己)の境界が、時に大きくゆらぐことを意味しています。免疫を通して自己を考える、そこに哲学に通じるものを感じ、惹きつけられました。
引用元:https://brh.co.jp/s_library/interview/89/
まさに哲学と医学の融合ですね。
坂口志文特任教授の兄弟は?
坂口志文特任教授の兄弟については、特に語られておらず、何人兄弟なのかは公表されていないようです。
ですが、坂口志文特任教授がゲストとして、虎高の同窓会に参加したときの紹介で、坂口志文教授のご兄弟が虎高の同窓生と紹介されていましたので、兄弟はいるようです。
ちなみに、虎高とは、滋賀県長浜市にある公立の高校で、愛称が「虎高」です。坂口志文教授の父親もこの虎高で教鞭をとっていたこともあったようです。
坂口志文特任教授の妻「坂口教子」も優秀な研究者!【画像】
坂口志文特任教授の嫁は、坂口志文特任教授と同じ研究室の研究員です。
結婚後に、坂口志文特任教授が、アメリカに渡る時に一緒にアメリカに行き、日本に戻った時の「さきがけ21研究」では、同じ研究室で研究をしています。
坂口志文特任教授の妻の名前は、坂口教子さん。
坂口志文教授の妻は、ずっと坂口志文教授の研究を手伝っているのみならず、ご自身の研究で『Nature』に論文を出すほどの研究者というので驚きです。
同じ研究をして同じ世界を夫婦で見ているというのは憧れますね!
坂口志文特任教授に子供はいる?
坂口志文特任教授に子供がいるのであれば、秀才なのかなと気になるところですが、子供に関しての情報は出ておらず、いるのかいないのかは分かりません。
今後、子供の情報が入り次第、更新したいと思います!
まとめ
坂口志文特任教授の学歴・経歴、生い立ちや家族構成についてまとめました!
坂口志文特任教授の発言で凄いと思うことは多々ありますが、大学院を中退して、愛知県がんセンターに無給で研究員となった時に、免疫の研究を掘り下げて40歳ぐらいまでに普遍的な理論に辿り着けば合格だろうと、40歳を見越していたというのはとても凄いことだと思います。
そして、実際にその道を突き進み、2015年には、アカデミー賞の登竜門とされるガードナー国際賞を受賞。そしてアカデミー賞候補にも上がってます。
アカデミー賞の結果はもちろん、坂口志文特任教授の研究により、さまざまな疾患が治るようになることに期待しています!
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